3月の通信から

親子

昔、FMラジオでミヒャエル・エンデの「モモ」をドラマ化して放送したことがありました。そのころ幼稚園児だった子ども達といっしょに聞きました。灰色の男たちに時間を奪われた床屋のフージー氏は、時間を節約するためにそれまでの習慣をやめ、時間を切りつめて働くのですが、日常がやせ細り、毎日がむなしくなって来ます。 でも、モモのおかげで一度は捨てた習慣の大切さに気がつき、その習慣を取り戻すのです。その習慣とは「ぼたんインコを飼うこと、車椅子の恋人に会いに行くこと、年老いた母親の話し相手になること。夕方窓辺に座って今日一日の出来事を振り返ってみること。」でした。どれも無駄なようにみえてフージー氏の人生にとっ大事なことだったのです。 

私も保育所を退職してから、介護施設にいる母親のところへ出かけて話し相手になることが習慣になりました。以前は、仕事帰りに洗濯物を持ちに行き気ぜわしく帰ってくるのがせいぜいで、ゆっくり話し相手になることできませんでした。今はゆっくり話ができるので、母から今まで聞いたことのない昔話が出るようになりました。
私の母親も働き続けた母親だったので、穏やかな母の笑顔を見るのはあまりなかったように思います。
 
時間泥棒と時間貴族だった子ども達  

今の時代は、時間泥棒がどこかにいるようです。児童精神科医の高岡健さんがその著書で言うように「世の中から取り残されることを恐れて、抗鬱剤を齧りながら必死で働くのか、自己を自己として受け入れ、これまでとちょっとだけ違う生き方をつむぎ出せるのか」が問われているのだと思います。子どもが不登校をしたときに、子どもにも大人にも一番必要だったのは時間でした。「お母さん、今のこの時間が明日に繋がっているんだよ」と教えてくれたのです。

不登校をしてからのわが家の時間は、世間の流れとは無縁であり、学び方も三人三様でした。子ども達と共に味わった音楽や映画や旅行はなつかしい思い出です。子ども達と語らったことのあれこれは今も宝物です。子ども達はいろいろな局面で悩みながらも育っていきました。今は遠くへ住み直接話をする機会が減りましたが、息子たちのホームページをときどき覗いてみます。5分前に書き込んだブログに遭遇することがあり、距離は離れていても、近くにいるようで不思議です。三男のブログを見て「ああ、今はこんな本を読んでいるのか」と彼の心持ちを想像します。不登校の日々に、親子でリュックを背にあちこちの古書店めぐりをしたことをなつかしく思い出します。

わが家の子ども達は、3月に卒業して4月に新しい生活へという流れとは無縁でした。
日ざしが春めいてきましたが、明るい日ざしとはうらはらにこの季節は親も子どもも焦りを感じやすい季節でもあります。常識や慣習にとらわれることなく、今のこのときを大切にわが家の歩みをふみしめていきたいですね。

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